広々とした内湯には、天然温泉、白湯、ハーブ湯の浴槽を備えゆったりと解放感に使って日頃の疲れを癒してください。
戦乱の世に生まれ、忍耐と努力を重ねついに天下人となった徳川家康。家康公の人生の節目となる出来事をお風呂の名前にしました。将軍になったお気持で、天下取りの湯を楽しんでください。
営業時間
10:00~23:00 ※最終入場22:30
| 露天風呂 | 10月~4月 | 10:00~20:00 |
| 5月~9月 | 10:00~21:00 |
竹千代の湯
内湯でもっとも大きな浴槽「竹千代の湯」。
<物語>
1541年正月、16歳になった三河崎城主松平広忠は、三河国刈谷城主水野忠政の娘、於大の方をめとる。於大の方は14歳。その翌年の1542年12月26日午前4時ごろ、竹千代は誕生した。
元服の湯~温泉~
内湯で最も広い浴槽に、地下1400mからの天然温泉が湧き出しています。泉質はナトリウム-塩化物強塩泉。塩分が肌からの放熱を抑えるために保温効果の高いお湯です。
<物語>
竹千代の人質生活は8歳から駿府ではじまる。
この時期は決して恵まれた環境とはいえないが、祖母於富による養育や今川義元の軍師と言われた臨済寺住職、太原雪斎に師事して多くのことを学んだ。
そして、1555年3月、14歳になった竹千代は元服して松平二郎三朗元信と名乗る。
温泉成分と効能
| 泉質 | ナトリウム・カルシウム-塩化物冷鉱泉(高張性・弱アルカリ性・冷鉱泉) |
| 浴用の効能 | 神経痛、関節痛、疲労回復など |
結婚の湯~日替り風呂~
一年中、季節の日替り風呂が楽しめます
<物語>
1557年16歳になった元信(家康)は、関口親永の娘で、義元の姪にあたる瀬名姫をめとる。瀬名姫は10歳年上の26歳であった。この結婚によって、今川氏の一門格として扱われることになったが、人質にしては厚遇であり、義元の元信に対する期待感が窺えた。
忍耐の湯
おひとり専用の壺湯です。
大空を見上げながらひとり独占で入るお風呂は格別の気分にさせてくれます。
<物語>
三河一向一揆を鎮圧し、三河統一を成立させた家康は、1566年25歳で徳川氏を称する。その後、織田信長と連合するが、本能寺の変で状況は一変。信長の死で光秀、秀吉、勝家、家康で天下人を狙う。しかし家康公は破竹の勢いの秀吉に逆らうのは得策ではないと考え、臣従することに。
囚われの湯
<物語>
家康は6歳から人質生活を送ることとなる。
最初の3年間は尾張の織田家、その後の12年間を駿府の今川家で過ごした。1560年19歳の時、桶狭間で織田信長の奇襲を受けた義元が討死したことを機に、15年間におよぶ人質人生に終わりを告げた。
独り立ちの湯~薬湯~
じっくり染み渡るお湯につかりながら、漢方独特の香りが楽しめます。生薬成分の保湿効果により肌に潤いを与える漢方「漢方湯」を使用しています。
<物語>
岡崎城に戻った松平元家は、三河国内の織田家の砦を攻め取っていく。建前は今川の恩義に報いるためであったが、元家の本心は自分の領地を広げることだった。
そして、1561年20歳の元家は、今川氏真が頼りにならないと分かると今川との断交を宣言し、三河の今川勢力を放逐し、西三河の平定に成功する。
江戸移城の湯~ジャグジー~
江戸城をイメージさせるジャグジー寝湯。
男湯露天のみにある特性風呂です。どうぞ、江戸移城の物語に浸ってくださいませ。
<物語>
小田原城攻めでの家康公の働きが秀でていたため、豊臣秀吉は旧北条領の関係八カ国を与えた。しかしこれには家康公を文化的後進地域の関東に閉じ込める意図が。しかし、家康公はこの地こそ国家百年の計を立てる最適の地と見定め、1590年8月1日江戸城に入った。50歳のときであった。








